回覧版9月号

目次

 ★ 敬老会に多数のご来場ありがとうございました(9月5日(土))

お知らせ

  1. 秋の町内一斉清掃(9月26日(土))
  2. コスモスまつり10月11日(日)午前9時~
  3. グランドゴルフ大会参加者募集10月24日(土)
  4. 古井町公民館サロン「喫茶スマイル」10月8日(木)
  5. 「古井の歴史めぐり」参加者募集11月7日(土)
  6. 町内会費(後期分)の納入についてに
  7. 赤い羽根募金(300円)・歳末たすけあい募金(200円) のお願い
  8. 土木事業、防犯灯設置要望があればお知らせください
  9. ごみステーションの立哨(りっしょう)をおこないました
  10. 犬のふん尿の処理について(お願い)
  11. ブログ町史を更新しました

9月号1-1 9月号1-2 9月号2-1 9月号2-2 9月号3-1 9月号3-2 9月号4-1 9月号4-2

(といあわせ:古井町内会事務所〔火曜~土曜日午前中〕電話 0566-76-3430)


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特集2 古井のお宮さん

※ このブログ記事は冊子『古井の歴史案内』を一章ごとに順不同で紹介するものです。
※ みぎのリンクからほかの章にとぶことができます。 【ブログ版目次】
※ 写真番号は冊子のページとページ内の番号を表示しております。
※ 赤字は冊子の記述を修正加筆したものです。

特集2 古井のお宮さん ~豊日の森の文化財 古井神社~

(1) 古井神社の由緒
(2) 桜井神社の馬祭で首座、本地堂
(3) 古井神社の歴史
(4) 古井神社、末社の祭神、御神徳
(5) 古井神社の建築美
(6) 社紋の「橘紋」

(1) 古井神社の由緒

古井神社には由来を記す冊子が複数伝わっています。そのなかの一つ(下の写真)は、和紙3枚にして、楷書書きの毛筆で24行にわたるもので、最もていねいに扱っている史料と思われます。

【写真9-1】古井神社の由来を記す冊子( 古文書) ( 古井神社所蔵) 273-235
【写真9-1】古井神社の由来を記す冊子(古文書) (古井神社所蔵)

口語体にすると下記の通りです。

豊日の森(とよひのもり)の昔の様子を訪ねてみますと、(古井には)倭姫命(やまとひめのみこと)にお仕えする方がお掘りになったという古い井戸があります。その近くに、春が来ると花を咲かせてくださるという木華開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)、そしてもう一柱の神様がいました。名前が分からない神様を含めた三柱がお住まいになった所が豊日の森です。


そして、わが村の歴史に思いを巡らせますと、第56代清和天皇(せいわてんのう)の流れを受け継ぐ清らかな流れが今に至るまで伝わるこの家に、敬って密かにおまつりしてきた一柱の神様がおられます。畏(おそ)れ多いことですが清和天皇が直々にお彫りになった応神天皇のお姿である八幡大神(はちまんのおおかみ)の像があります。ある年の秋に神様のお住まいを建ててさしあげ、春になると木の華(はな)がよみがえって花開く宮となる良い所となりました。これは八幡宮のご神体に関わることですが、そのお名前は「古井神社」と申し上げ、その後永く敬っています。


瑞穂(みずほ)の国(日本列島)に民が住む限り、この森の神様のお恵みがありますように、畏れを感じ慎み深くもうしあげるものです。


清和天皇の血筋にあたる摂津守(せっつのかみ)、源頼光(みなもとのよりみつ)の
四世の孫、官位は従四位下(じゅしいのげ)である仲政(なかまさ)、
その嫡子(ちゃくし)である源三位頼政(げんざんみよりまさ)の孫に当たる、
駿河守(するがのかみ)を拝命している源廣綱*1(みなもとのひろつな)入道


[花押(かおう)]
建仁(けんにん)元年
辛酉(かのととり)年
二月十有五日

八幡宮をなぜ古井神社とするかを知りたいところです。しかし、この史料には論理的な説明はありません。

【写真9-2】現在の古井神社の社額 175-201 【写真9-3】江戸時代の社額 176-153
(左)【写真9-2】現在の古井神社の社額
(右)【写真9-3】江戸時代の社額

(2) 桜井神社の馬祭で首座、本地堂

幕末の桜井権現社(さくらいごんげんしゃ/古くは桜井白山宮または白山社、明治期以降には桜井神社)の祭りは、桜井七か村(印内(いない)、堀内(ほりうち)、中開道(なかがいと)、下谷(しもや)、城向(しろむかい)、西町(にしまち)、東町(ひがしまち))のほかに近隣の十数か村(古井、川島、姫小川、上佐々木、下佐々木、村高、木戸、上合歓木(かみねむのき)、下合歓木など)が参加しました。

この祭には十七か村が参列する「馬祭(うままつり)」があり、馬の並び順は毎年変わりましたが、その先頭は毎年古井村が受け持つと決まっていました。「首座を務める」 といい古井村はこの権利を誇りにしていました。

古井神社には「豊日の森」の伝説のほかに「古井村名 憶念寺桜井白山宮由来」という伝承を綴る史料があり、これは桜井寺(伝聖徳太子建立)がもとで白山宮(のちの桜井白山権現、桜井神社へ発展)や憶念寺が開かれたと述べています。桜井寺関連の「本地堂」の地点が 「ほんじ」とよばれ、のちに「本神」と表記されるに至っています。1868年(明治元)神仏分離令が発令されました。これにしたがい、桜塚にあった「桜本天神」を1879年(明治12)に憶念寺から切り離して八幡宮(古井神社)へ移しました。

桜本天神は「三河国神明名帳(みかわのくにしんめいみょうちょう)」(平安・鎌倉時代に起源をもつとされる記録)にある「正五位桜本天神 碧海郡」に相当すると地域で知られてきた名門の神様で、現在も地域の人々は「桜本さん」の名で、特別にだいじにしています。祭神の「桜大刀自神(さくらのおおとじのかみ)」は桜を咲かせる神です。この神をまつる神社は全国にも数が少なく、香取神宮(千葉県香取市)の境内社桜大刀自神社が知られています。

明治維新期の古井村の人々は、豊日の森は限りなく古い時代から神をまつる森だったとする伝承を根拠に、神社の名称変更を申し入れ実現しました。高いレベルの社殿と神社の由来、馬祭での首座の権利はこうした文化財と歴史に対する気概があってこそ実現したものです。

先人の思いが21世紀の人々の心に響きますことを願います。

【写真10-1】古井神社「社記」の碑 187-246
【写真10-1】古井神社「社記」の碑

(3) 古井神社の歴史

時代 西暦、元号 古井神社関連記事
古墳 年不詳 倭姫命が井ノ池に井戸を掘る(伝)
奈良 年不詳 豊日の森に木華開耶姫命、橘豊日命等の三柱をまつる。(伝)
平安 年不詳 桜本天神の名が「三河国神明名帳」に記載(推定史)
年不詳 桜井寺、白山宮、本地堂消失(伝)
鎌倉 1201年(建仁元) 源廣綱*2が豊日の森に八幡社をまつる伝説「豊日の森の昔」制作
江戸 1685年(貞享2) 本殿造営(史)、覆殿(おおいでん)新築(推定史)
1813年(文化10) 覆殿瓦葺に改築(推定史)、橘紋を鬼瓦に入れる(推定史)
1845年(弘化2) 花崗岩の手洗鉢を設置(史)
1860年(万延元) 拝殿(はいでん)改築(史)、飾り瓦や彫物を取付
明治 1873年(明治6) 大堀(おおほり)の山神社、神ノ木(かみのき)の若宮社を境内に移転
1879年(明治12) 桜塚(さくらづか)の桜本天神を境内に移転
1882年(明治15) 八幡宮から古井神社に社名変更が認可、社格が村社となる
大正 1913年(大正2) 金蔵塚(きんぞうづか)の天満社を本殿に合祀
1914年(大正3) 天皇(てんのう)の天王社を本殿に合祀
昭和 1951年(昭和26) 神社本庁宗教法人「古井神社」設立
1972年(昭和47) 「社記」の記念碑設置、創建を建仁元年と記す
令和 2020年(令和2) 古井神社改修事業竣功(本殿・末社改修)
(伝)言い伝え (推定史)資料から推定できる事柄 (史)資料に基づく事柄

(4) 古井神社、末社の祭神、御神徳

① 本社殿

  • 祭神
    • 誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神天皇)
    • 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
    • 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

      【写真11-1】本社殿の奉納額 2021 年(令和2)古井神社改修事業の竣功の
      【写真11-1】本社殿の奉納額 2020年(令和2)古井神社改修事業の竣功のおり、拝殿上部に設置

      【写真11-2】八幡神像 本殿に置かれています 211-184 【写真11-3】古井神社の本殿 覆殿で守られています 170-123
      (左)【写真11-2】八幡大神像 本殿に置かれています
      (右)【写真11-3】古井神社の本殿 覆殿で守られています

② 桜本天神(さくらもとてんじん)

  • 祭神
    • 桜大刀自神(さくらのおおとじのかみ)〔古井・桜井郷の鎮守神、氏神〕
      • 美化の神様と敬(うやま)い、桜本(さくらもと)さまと称(とな)え
      • 安産(あんざん)、家庭円満
      • 夫婦和合の守護神(しゅごしん)
    • 高御産霊神(たかみむすびのかみ)
      • 造化の神様と敬い、産霊の神様と称え
      • 子授け(こさずけ)、生成化育
      • 子孫繁栄(しそんはんえい)の守護神
    • 倭姫命(やまとひめのみこと)
      • 開拓の神様と敬い、鎮護(ちんご)の神様と称え
      • 町内安全・繁栄
      • 子孫長久の守護神

③ 稲荷社(いなりしゃ)

  • 祭神
    • 保食神(うけもちのかみ)
      • 食物の神様と敬い、お稲荷さま(おいなりさま)と称え
      • 家業繁栄、商売繁盛・五穀豊穣(ごこくほうじょう)の守護神

④ 山神社(やまがみしゃ)

  • 祭神
    • 大山祇神(おおやまつみのかみ)
      • 山の神様と敬い、田の神様と称え
      • 五穀豊穣、家内安全
      • 交通安全の守護神

⑤ 熊野社(くまのしゃ)

  • 祭神
    • 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
    • 伊邪那美命(いざなみのみこと)
      • 国の母祖神、天神の命を受けて伊邪那美命と共に、初めて国土を営み諸神を産んで海・草・木を分担し受け持った神
      • 国の母祖神様と敬い、熊野さま(くまのさま)と称え
      • 厄除開運(やくよけかいうん)、家内安全
      • 大願成就(たいがんじょうじゅ)の守護神

⑥ 若宮社(わかみやしゃ)

  • 祭神
    • 仁徳天皇(にんとくてんのう)
      • 聖帝と敬い、若宮さま(わかみやさま)と称え
      • 家内安全、幸福守護
      • 家庭円満の守護神
      • 交通安全の守護神
      • 五穀豊穣の守護神
      • 町内繁栄の守護神

        【写真11-4】桜本天神社 204-188
        【写真11-4】桜本天神社

 

古井神社所蔵の文書(古井町歴史研究会作成)
史料名 制作者 制作年 大きさ mm 頁数
(豊日の森) 源廣綱*3 1201年(建仁元) 292 × 202 4頁
古井村名 憶念寺桜井白山宮由来 不詳 1600年(慶長5) 245 × 162 12頁
古井村憶念寺由来 円見
(えんけん)
1640年(寛永17) 282 × 200 14頁
村社古井神社 赤堀甚十
(あかほりじんじゅう)
1927年(昭和2) 283 × 200 72頁

(5) 古井神社の建築美

古井神社の社殿は、正面から拝殿(はいでん)・渡殿(わたりでん)・覆殿(おおいでん/=本殿)の三つの建物がつながっています。神様が鎮座しているのは一番奥の本殿です。覆殿で風雨や世俗の喧噪から守られています。本殿は一間社(いっけんしゃ)・流造(ながれづくり)・杮葺(こけらぶき)で、棟札(むなふだ)には1685年(貞享2)と建立年が記されています。

覆殿の屋根は入母屋造(いりもやづくり)、渡殿は切妻造(きりづまづくり)、拝殿は入母屋造、本瓦葺(ほんがわらぶき)、屋根の正面には千鳥破風(ちどりはふ)、その下には唐破風(からはふ)の造りとなっています。唐破風の上にある中国の二人の仙人(琴高仙人(きんこうせんにん)、呂洞賓(りょどうひん))の彫刻瓦と竜の飾り瓦は、長押(なげし)の上の彫刻に合わせた物と考えられます。また、大きくせりだした軒を支える斗栱(ときょう)が何段も施されています。拝殿を支える柱は丸柱で、周辺地域の神社にない珍しい柱です。そして、回廊となっている浜縁(はまえん)も古井神社の特徴です。拝殿の棟札には1860年(万延元)と記されています。

【写真12-1】古井神社の拝殿  2020 年3 月 320-241
【写真12-1】古井神社の拝殿 2020年3月

(6) 社紋の「橘紋」

2020年(令和2)の古井神社改修事業の前に使っていた覆殿、拝殿の瓦を見ると「橘紋(たちばなのもん)」をつけた鬼瓦が新旧二つ見つかりました。破風には「橘紋」が輝いていました。古式鬼瓦には制作者と年代が彫られていて、文化10年(1813年)とよめます。古井神社の古文書に記載されている「橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)」にちなんで用いたと考えられます。橘豊日命は用明天皇(聖徳太子の父)です。この土地のいつかの時代の人が史料にある「豊日の森」の名前から橘豊日命の名をつかった可能性があり、19世紀の人が橘豊日命にちなんで社殿の装飾に「橘紋」を使ったに違いありません。

【写真12-2】覆殿の鬼瓦の橘紋 2020 年1 月 205-197
【写真12-2】覆殿の鬼瓦の橘紋 2020年1月

【写真12-3】拝殿正面の彫刻 ( 尾張の名彫刻師;瀬川重光 作) 室町時代
【写真12-3】拝殿正面の彫刻(尾張の名彫刻師;瀬川重光作)
       室町時代の謡曲「海女」をあらわしています

「海女」のお話

拝殿正面の「海女(あま)」を見てみると、竜宮の前で珠(たま)を棒げた従者の女人と姫が立っています。後ろから恐ろしい形相(ぎょうそう)の武人が刀を抜いて迫ってきます。そして珠を乳房に隠して海女は逃げるという緊迫感の場面を描いています。

奈良時代の藤原不比等(ふじわらのふひと)は、唐の第三代皇帝の后(きさき)となった妹から贈られた面向不背(めんこうふはい)の珠を、竜神から取り返すために讃岐の志度の浦(しどのうら)に来ました。土地の海女と契りを結び一子をもうけました。そして海女に珠を取り返してくれたら、その子を自分の世継ぎとすると約束を交わしました。海女は竜宮へ行き取り返し乳房の下に押し込めて逃げ帰りましたが命を落としました。

*1:源広綱

*2:源広綱

*3:源広綱

回覧版8月号

目次

お知らせ

  1. 敬老会(9月5日(土))のお知らせ(再)
  2. 古井町公民館サロン「喫茶スマイル」9月10日(木)
  3. 第3回「古井の歴史に親しむ会」を開催します(再)
  4. 秋の町内一斉清掃 9月26日(土)
  5. みんなで守ろう交通安全
  6. ごみステーションを正しく使いましょう
  7. 植木鉢の欲しい方、まだあります!

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(といあわせ:古井町内会事務所〔火曜~土曜日午前中〕電話 0566-76-3430)


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通史9 座談会「古井の今と未来を語る」

※ このブログ記事は冊子『古井の歴史案内』を一章ごとに順不同で紹介するものです。
※ みぎのリンクからほかの章にとぶことができます。 【ブログ版目次】
※ 写真番号は冊子のページとページ内の番号を表示しております。
※ 赤字は冊子の記述を修正加筆したものです。

通史9 座談会「古井の今と未来を語る」 ~未来に向けたメッセージ~

古井の歴史について案内してきましたが、歴史はこれからも続きます。そして私たちが生きている今もその歴史の1シーンです。そこで今、古井に住む人々による座談会を行い、古井の今と未来について語り合いました。それをまとめて未来の古井の人々に、私たちのメッセージとして発信します。
(1) はじめに (2) 座談会発言集 (3) アンケートのまとめ (4) むすび 〔座談会の参加者一覧〕
【資料1】古井町内会の会員構成 【資料2】古井町内会組織と活動 【資料3】古井町八景

(1) はじめに

① いきさつ

古井神社社殿の西にある石碑に1940年の古井の様子が記されており、大変興味深いものがあります。これにならって、今(2023年)の古井の様子を未来の人たちに向け、メッセージとして残そうと思い立ちました。そこで古井の各地区、各層の方に集まってもらい座談会を行いました。

② 座談会の概要

1.開催日
1回目:2023年(令和5)9月30日(土)14時~16時
2回目:2023年(令和5)10月14日(土)14時~16時
2.場所
古井町公民館
3.参加者
古井在住で、男女、年齢、住所、職業等多様な方が集まりました。スタッフ含め総勢69人の方にA~Fの6班に分かれて意見交換を行いました。
【写真129-1】各班の発表の様子 390252
【写真129-1】各班の発表の様子
4.各回のテーマ
事前にアンケートを配布し、その回答を持って参加いただきました。
(1回目)
  イ)自己紹介、誕生年、転入年と転入理由および地元(出身地)の思い出
  ロ)古井出身の方は子どものころの思い出
  ハ)そのころと、今の比較で感じること
(2回目)
  ニ)良くしたいこと、町内会への意見
  ホ)未来予想
  ヘ)追加アンケート(2回目の参加者より回収)「古井町における困りごと」と意見

③ まとめ

  • イ)~ホ)については、一人一言の発言集にして紹介します。
  • アンケートを集約し、今の古井に住む人々の困りごとの順位をまとめました。同時に、古井をよくする意見をまとめました。

(2) 座談会発言集

① 古井生まれ、子どものころの思い出

「小学5年で終戦を迎えた。南中の第1回生で入学時に校舎ができておらず、錦町小で授業をうけた。中学の時に農地改革があり、覚えている」男性、88歳、1935生、本神

「お寺の裏から名鉄線、新幹線が見えたが、今は家が建ち全然見えなくなった。古井神社の西側は一面、田んぼでよく遊んでいた」男性、61歳、1962生、亀山

「新幹線の騒音がすごかった、親類のおばさんが地震と間違え縁側から飛び出してけがをしたことがあった。団塊世代で子どもの数が多く、小学校は松・竹・梅の3組だった」男性、76歳、1948生、中本神

【写真130-1】A 班の皆さん 388-205
【写真130-1】A班の皆さん

② 転入の方、その頃の思い出と感想

「20歳で嫁いできた。家は平屋で狭く、鶏と豚を飼っていた。台所は狭く、煮炊きは土間で、焚きもんは、わら・豆殻をくべていた」女性、83歳、1940生、中本神

「21歳で嫁ぎ、1976年に大久後に引っ越した。低地で清水がわいており、水が切れない田んぼだった。うしガエルの声がうるさかった」女性、75歳、1948生、大久後

「31歳の時に土地を購入し新築した。一坪1万円だった。井戸を利用、道路は未舗装。夏は蚊帳(かや)をつり、カエルの声がにぎやかだった」男性、86歳、1937生、上寺

「26歳に夫の転勤で古井に来た。家の周りから古井駅までずっと田んぼ。スーパーマーケットもなく、買い物が不便だった」女性、77歳、1946生、大久後

「1974年に27歳で床屋を開業した。農協や向かいの商店の建物が古めかしく今となってはなつかしい。水道代がタダで助かった」男性、76歳、1946生、鍋屋町

「25歳で嫁いできた。その後に家の周りの田畑のほとんどが住宅に変わった」
 女性、54歳、1969生、中本神

「出産を機に28歳で同居、近くの店舗といえば、酒屋兼雑貨店(亀屋)が1軒だけだった」
 女性、59歳、1963生、西川

「29歳で入居した。近くの田んぼで、子どもと一緒におたまじゃくしやザリガニ取りして遊んだ」
 女性、59歳、1963生、亀山

「32歳で新居を構えた。都市部に比べて変化がゆるやか。天災人災少なく、近所付き合いが適度でバランスが良く住みやすい土地柄と思う」男性、50歳、1973生、中本神

③ 子どもの頃と比べて特に変わった事

「昔は同年だけでなく、年上や下の子とよく遊んだ。寺社等の外遊びが多かった。今はゲーム機やスマホでの室内遊びが多い」男性、74歳、1949生、古井新町

「家や人が増え、密になった。公園、防犯灯、ミラー、ごみステーション等整備され、住みやすい町になった」
 男性、68歳、1955生、本神

「古井町内でも市街化調整区域側なので変化がゆっくり、畑にアパートや新築住宅が少し建った程度、ただし旧家屋はほとんど建て替わった」男性、68歳、1955生、西川

「畑や田んぼが建物や公園になった。アパートに住む外国人が増えたがこの人たちとの接点がない」
 女性、16歳、2007生、本神

「盆踊りや運動会など、大勢が集まる行事が減ってさみしい」男性、48歳、1975生、本神

「小さいころは草むら、通学路途中の空家・空地など遊べる場所が多かったが、今は整備されて家が建ちきれいになった。少しさみしい」女性、49歳、1974生、東川

「川や田んぼが少し汚くなった」女性、15歳、2007生、東川

【写真130-2】B 班の皆さん 455-238
【写真130-2】B班の皆さん

④ 転入の頃と比べて今の感想

「38歳で、新居を建てた。周辺には店がなく買い物が不便で医者も遠かった。今はスーパー、医療機関が増え、便利で安心して住める」女性、72歳、1951生、亀山

「36歳で入居、当時は友達がおらず、相談相手がなく苦労した。その後、子ども会行事、ママ友等で知り合いができて力になった」女性、46歳、1977生、鍋屋町

「入居した頃は何もなかったが、スーパー・保育園・小中学校・病院ができて便利になった。ただし今も近くに飲食店がないのは残念」男性、68歳、1955生、西川

【写真131-1】C 班の皆さん 404-177
【写真131-1】C班の皆さん

⑤ 防犯、防災、生活環境について

「夜間、道路が暗いので街灯を増やしてほしい」女性、49歳、1974生、東川

「古井新町では防犯カメラの設置が進んでいる」男性、古井新町

「あんくるバスの更生病院での乗り継ぎ時間が短すぎる。高齢者、身障者への配慮を望みたい」
 男性、62歳、1961生、東川

「ペット犬の散歩が多くなった。マナーの悪い人が多い」女性、52歳、1971生、本神

「野良猫(のらねこ)対策でNPOに相談し、不妊手術を進めた」男性、古井住宅

「防災訓練で自転車や車がつかえない高齢者の移動を考えた訓練が必要」男性、80歳、1943生、上寺

「防災訓練や学習を毎年行うことが大事」男性、72歳、1951生、本神

「耐震不足の家屋の実態調査と耐震診断の実施を防災計画に織り込む。無料診断を活用するとよい」
 男性、73歳、1950生、東川

「防災計画の作成、ハザードマップを作成した。今年は車中泊避難訓練を予定している」男性、古井新町

⑥ 交通環境について

「のどかな地域で暮らしやすかったが、今や住宅が密集、交通状況も悪く、事故の不安がある」
 男性、77歳、1946生、亀山

「町内道路の歩道が狭い・ないところもある」男性、49歳、1974生、東川

「町内の道路の整備は人が中心、車両優先にならぬよう」男性、72歳、1951生、本神

「町内を通過する車が多いので危ない」男性、66歳、1957生、亀山

「道路が狭く危険、次世代につなぐ町づくりのため区画整理などの検討会を町内で開いてはどうか」
 男性、58歳、1965生、本神

「住宅内の中心道路の横断歩道に歩行者信号の設置を希望している。去年死亡事故が発生した」男性、古井住宅

【写真131-2】D 班の皆さん 420-204
【写真131-2】D班の皆さん

「資源回収等で小中学生も町内行事への貢献を実感する」男性、15歳、2008生、中本神

「安城学園生徒会で福島ひまわりプロジェクトに参画している。古井の環境保全会に協力していただきありがたかった」女性、17歳、2005生、東川

「共働きが多いので、子育てへのPTA、子ども会等、町内会組織での支援がうれしい。これからも期待している。高齢者が元気になる行事があるのでよい」女性、32歳、1991生、鍋屋町

「古井町は町内会加入率が極めて高く誇らしい。町内会にすすんで参画する意識を育てていく運営が今後も大切だ」男性、74歳、1949生、本神

「アパート等に住む外国人の方が増えている。町内会を知ってもらうことが大事である。つながる方法を考えたい」女性、64歳、1959生、鍋屋町

「人口の急増で細かな意見が届きにくい。多くの人々にとって意見等を出しやすい開かれた町内であってほしい」男性、82歳、1941生、北本神

「一人暮らしの高齢者が増えている。高齢者と児童・幼児との交流の機会を増やして元気になってもらうのはどうか」女性、69歳、1954生、亀山

「ボッチャ大会を去年から始め、好評だった。古希の会・ふれあいサロン等、公民館活動が盛況」
 男性、古井新町

「古井でも一人暮らしや高齢者等を対象にサロン(喫茶スマイル)を始めた」男性、古井町

「町内会の事務員をしている。今でも町内への入居者があり、町内会への入会をお勧めしている。道路、ゴミステーションの相談事が多い」女性、古井町

【写真132-1】E 班の皆さん 435-229
【写真132-1】E班の皆さん

⑦ 未来を語る 30~50年後を想像して 生活環境について

「碧海古井駅前の道路拡幅と駅前広場が完成。あんくるバスの利便性が向上し市役所、病院へのアクセスが充実している」男性、57歳、1966生、亀山

「安全パトや見守り活動の継続で安全安心を維持。農家人口減少で、集落周りの耕作放棄地が増加」
 男性、70歳、1953生、中本神

「遊休地が増加するが、緑化、花を植える活動(ボランティア)で良い環境が保たれている」
 女性、70歳、1953生、中本神

「自分の子どもたち世代の遺産相続で、田畑の集中保有・継続は困難になる。分散が心配である」
 男性、66歳、1956生、亀山

「大雨対策の排水路更新は完成しているが町内の赤道(あかみち)の保全管理(草刈り・路肩維持)が心配」
 男性、69歳、1954生、鍋屋町

「農作業の自動化、無人化が発達して、人の労力は低頻度、限られた作業だけになる。デジタル化が進んで、経営が楽になっている」男性、40歳、1983生、中本神

【写真132-2】F 班の皆さん 410-250
【写真132-2】F班の皆さん

⑧ 少子化・高齢化問題について

「仕事、教育、交通等あらゆるところでAI利用社会に。少子高齢化が進行していると思うが、自分は結婚し家庭を持っているだろう」男性、14歳、2010生、中本神

「少子化対策として、学費・医療費の無償化等の子どもの養育費用の負担軽減策が浸透している」
 女性、50歳、1973生、本神

「コミュニティスクールの推進(知識、経験、技能のある方の協働的参画で学校と住民が力を合わせる、地域と共にある学校)で子どもと高齢者の交流活性化」男性、社協

「高齢者もPC・スマホを使いこなしている。スマホ等IT機器による回覧板等の情報伝達で、紙の削減が実現」
 女性、46歳、1978生、中本神

「健康年齢が高齢化、就業年齢も高齢化し、100歳でも働く元気な高齢者が現れる」
 女性、77歳、1946生、鍋屋町

(3) アンケートのまとめ

*安祥福祉センター(社協)と共同実施

① 困りごとの分類

項目別の比率を示す。回答数76。
【画像133-1】困りごとの分類 330-340

ベスト3は以下のとおりでした(3位は生活環境と防災が同率でした)。

  1. 交通環境(32%)
    • 町内の道路が狭い、歩道がない
    • 通り抜けの車が多い
    • 横断歩道の歩行者信号が少ない
    • 古井駅前の道路が狭い、混雑する
    • 古井駅の停車数が少ない
    • あんくるバスの本数が少ない
  2. 防犯(22%)
    • 夜道が暗い、街灯が少ない
    • ゴミの不法投棄、不法侵入がある
    • 防犯カメラが欲しい
  3. 生活環境/防災(各13%)
    • ペット犬の散歩マナーが悪い
    • 耐震不足の家屋が多そう
    • 消防団員の不足
    • 歩道の雑草が伸び放題
    • あんくるバスの更生病院での乗継が不便

② 古井を良くするための意見

本アンケートでは、良くするための意見も記載していただきましたので、以下に紹介します。

  1. 将来の古井を考える会の発足=そのテーマ(主な意見を列記)
    • 3町内会の交流(つながりを深める)
    • 高齢者の増加を見据えて今後の見守り
    • 空家、空地(耕作放棄地)の活用
      *利用グループの立上げ
    • 町内会行事の見直し(子どもと高齢者向け)
      *気軽で参加しやすい行事を増やす
  2. 町内道路の整備
    • 歩行者の安全優先へ道路・歩道の整備
    • 通り抜け車の通行規制、バイパス整備
  3. 碧海古井駅前の整備
    • 駅前広場(送迎車、歩行者のスペース確保)
    • 新幹線高架下交差点の改良(渋滞解消)
    • 停車本数の増加
  4. 町内会運営への提言
    • 若い人の参画を働きかける
    • 元気な高齢者の活躍場所を用意
    • 事務、広報へのIT利用促進
      *スマホ相談窓口(ブログ)PR
      *小・中学生のタブレット端末の活用(問合せやPR媒体としての利用)
      *電子回覧板送信(申込者)紙の節約へ

(4) むすび

*困りごと、 その改善意見をうけて

古井は1970年代からの約50年で大きく変化しながらも、おおむね暮らしやすい地域との意見です。しかし道が狭い、夜道が暗い、事故犯罪のリスクで防犯カメラが必要等の要望事項も多くありました。改善策として、安城の市街地のように区画整理で作り替えてしまう方法もありますが、簡単にできるとは思えません。今回の座談会が、地元への関心の高まりと、町史で歴史を振り返りそして広い視野で、これからのくらし方と町づくりを考える住民の会の発足の契機になれたら幸いと思います。

〔座談会の参加者一覧〕

A~Fの6班に分かれて座談会を行いました。

座談会の参加者一覧 2023年9月
(本表は1回目の組合せ)
氏名 組名 補足
A班(男子壮熟年グループ)
松下不二男 鍋屋町東 2回目:加藤千典
稲垣作 古井新町  
植村真一 上寺東  
杉浦茂之 南本神  
小島英二 亀山東 保福寺
杉浦正之 南本神 司会
大澤松男*1 上寺西 アンケート参加
B班(男子壮年グループ)
伊藤洋一 亀山東  
稲垣秀夫 東川  
八木鐘次 亀山西  
白石博 大久後東  
稲垣実 南本神  
岩瀬昭彦 亀山東 司会
石原幸広 西川 アンケート参加
岩瀬隆広 東中本神 アンケート参加
廣村幹利*2 南本神 アンケート参加
C班(男子壮年グループ)
待田和宏 亀山東  
寺田覚 古井新町  
斎藤良二 亀山東  
市川直治 鍋屋町東  
青木洋児 古井住宅  
伊與田一根*3 東中本神  
太田豊彦 東川 司会
大河内岩根 鍋屋町東 アンケート参加
太田易志 東川 アンケート参加
D班(男子青成年グループ)
中村羊大 東中本神  
中村圭介 東中本神  
石原太一 東中本神  
待田智 亀山東  
石原資郎 西川  
岩瀬英一郎 東中本神  
大河内敏博 東川 司会
嵐武琉 北本神 アンケート参加
E班(女子成壮年グループ)
石原加寿美 西川  
杉浦清美 北本神  
石原孝子 亀山東  
永田紋 西中本神  
下條清美*4 亀山東  
太田恵美子 大久後西  
石川美恵子 亀山東  
鈴木滋子 大久後東  
松原智子 東中本神  
辻端陽子 大久後東  
細井嘉乃 鍋屋町東 司会
岩瀬元子 東中本神 アンケート参加
F班(女子青成年グループ)
廣村萌乃*5 南本神  
宮宅あい子 鍋屋町東  
中元真衣 東川  
中元颯南 東川  
嵐雅子 北本神  
山本靖子 南本神 憶念寺
髙田奈央*6 鍋屋町東  
岩瀬優佳 東中本神  
加藤ゆきの 東川  
加藤さやか 東川  
稲垣さよ子 西川 司会
委員
天野暢保 上寺東 歴史研究会
杉浦時男 北本神 歴史研究会
上地恵英 安城 歴史研究会
石原則行 東中本神 歴史研究会
稲垣光金 東中本神 町史発行委員会
井上保幸 西川 町史発行委員会
杉本正美 南本神 JAあいち中央古井支店
2回目の進行役
上之よし子 A班 安城市地域包括支援センター松井
古田真奈美 B班 安城市地域包括支援センター松井
小山貴也 C班 安城市社会福祉協議会
山田啓史 D班 安城市役所高齢福祉課
杉浦七海 E班 安城市社会福祉協議会 生活コーディネータ
夏目清香 F班 安城市社会福祉協議会 生活コーディネータ

【資料1】古井町内会の会員構成(2020年1月)

  • 古井町内会会員
    • 全数:1,509世帯(14組)
      組別の世帯分布は左図の通り。(加入率:94%)
  • 会費納入は三つに区分しており、Aは184、Bは909、Cは416世帯である。
  • Aは在来の農家世帯に相当するが、80年前(1940年)の農家戸数(167)と同等で興味深い。

【画像135-1】組別の世帯数分布 545-494 【画像135-2】区分別の世帯数と会費収入 545-494
(左)【画像135-1】組別の世帯数分布
(右)【画像135-2】区分別の世帯数と会費収入〔A:農家(農地保有) B:非農家持ち家 C:賃貸〕

【資料2】古井町内会組織と活動(2023年度)

【画像135-3】古井町内会組織図 546-805 【画像135-4】古井町内会年間行事計画 546-805
【画像135-3】古井町内会運営体制組織図     【画像135-4】2023年度古井町内会年間行事計画

【資料3】古井町八景

終戦時200戸程の純農村であった古井でしたが、今日では1,600戸以上の世帯が住むベッドタウンとなりました。そして通常の住宅地とは異なり、寺社が多く、農村時代の面影や周辺には田園が広がっています。そんな古井八景を選んでみました。(注)寺社と碑については特集記事に取り上げましたので除外しています。

① 御嶽山、鹿乗川流域の田園風景

古井と東尾の間に広がる田んぼは2005年の土地改良で、畔(あぜ)をなくして1ha区画にしました。

田んぼの向こうには安城南部小学校、安祥城址、歴史博物館、そして冬になると雪をかぶった御嶽山を臨むことができます。

【写真136-1】2024年12月 285-133 【写真136-2】2024年12月 右上163-69
【写真136-1、2】2024年12月

② 土地改良50周年記念公園のさくら並木

2003年に西鹿乗川の野辺橋下流の右岸に設置されました。毎年4月になると川の右岸沿いの八重桜並木がとてもきれいです。ここから見える新幹線は防音壁が無いので「のぞみ」が通過するとシャッターチャンスになります。古井地区環境保全会が定期的に除草、剪定をしています。

【写真136-3】2023年4月 317-188 【写真136-4】2023年4月 左下 119-79
【写真136-3、4】2023年4月

③ マンション等ビル群を臨む風景

古井の北東端、県道岡崎・西尾線から西を見ると、古井の変貌の象徴ともいえるマンション群が望めます。その右側には安城市街のビル群がひかえ、奥には更生病院の雄姿があり、地元生まれの者にとっては隔世の感の風景です。

【写真136-5】2024年5月 268-148

【写真136-5】2024年5月

④ 大型ほ場と大型機械による収穫風景

土地改良事業の進展にともない、2000年を過ぎるころには古井の田んぼの大半は大規模営農家へ耕作を委託されるようになりました。今日では古井の田んぼの稲作、転作(大豆、麦)のほとんどは、農地中間管理機構方式を運用して鈴木ファームが行っています。麦の収穫時期の古井の周りの田んぼは、大型コンバインと麦の黄金と苗の緑が映える風景となります(冊子143ページ参照)。

【写真136-6】2024年5月 268-130
【写真136-6】2024年5月

こども運動広場の横を流れる阿原川と新幹線

1992年にこども運動広場が西川より現在の釈迦山に移転しました。子ども会のソフト、フットの練習はもちろん、グラウンドゴルフを愛好するシニアの皆さんの交歓の場所となっています。秋には町内グラウンドゴルフ大会が行われます。西に憶念寺、東に阿原川(堀内川)が流れ、北に新幹線が走っています。

【写真137-1】2024年5月 264-137 【写真137-2】2024年5月 左下131-73
【写真137-1、2】2024年5月

⑥ 古井公民館とJA古井支店及び南倉庫

公民館は2001年に建設され、古井支店は2010年に新装オープンしました。南倉庫は古く古井産業組合事務所の移転時のころ(1935年)の建物と思われます。支店まわりの広場は、毎年6月に町内会イベント「ふれあい広場」でにぎわいます(冊子128ページ参照)。

【写真137-3】古井公民館とJA 古井支店及び南倉庫 316-131
【写真137-3】

⑦ 古井駅周辺の通勤風景

1926年(大正15)に開業した碧海古井駅は、ずっと改札口もない無人駅でした。開業記念に植えたさくらが毎年満開の花を咲かせ ていました。

2007年に自動改札の駅舎ができた後に、さくらは寿命を終えました。毎朝7時台は通勤客と通勤マイカーで駅前道路が大変混雑します。古井3町の表玄関にふさわしい整備がなされることを祈念して写真を残します。

【写真137-4】2024年6月 320-243 【写真137-5】1940 年ころの古井駅 198-147
【写真137-4】2024年6月             【写真137-5】1940年ころの古井駅

⑧ 三ツ塚公園

2020年3月に古井町初の都市型公園として完成しました。古井の地名の由来となった古井戸と三ツ塚古墳のモニュメントが特徴です。設計に際してワークショップを開催し住民のアイデアを取り入れて、四季折々に花が楽しめる公園となりました。公園愛護会(ミエール会)が毎月初めに草取りなどの手入れを行っています。

【写真137-6】三ツ塚公園 317-149
【写真137-6】

番外:堀内公園と鹿乗川コスモスまつり

堀内公園は古井町の南隣に1992年に開園。四季折々の草花を愛でながらの散策がとても心地よい公園です。北端の鹿乗川の堤防周辺では保全会の世話で毎年コスモス畑がオープンし、景観と秋の味覚を楽しむ「コスモスまつり」が行われます。

【写真137-7】堀内公園のさくら並木 2023年3月 475-245
【写真137-7】堀内公園のさくら並木 2023年3月

【写真137-8】西鹿乗川拡幅用地でのコスモスまつり 2022年10月 401-206 【写真137-9】コスモスまつり 右下 159-100
【写真137-8、9】西鹿乗川拡幅用地でのコスモスまつり 2022年10月


*1:大沢松男

*2:広村幹利

*3:伊与田一根

*4:下条清美

*5:広村萌乃

*6:高田奈央

回覧版7月号

目次

 ★ 資源回収へのご協力ありがとうございました!

お知らせ

  1. 敬老会9月5日(土)のお知らせ
  2. 古井町公民館サロン「喫茶スマイル」次回は9月10日(木)
  3. 子ども神楽の参加者募集のお知らせ
  4. 第3回「古井の歴史に親しむ会」を開催します
  5. 警察庁推奨特殊詐欺対策アプリがあります!(別紙参照)
  6. ごみステーションを正しく使いましょう
  7. 植木鉢、盆栽用鉢が欲しい方!この機会にどうぞ(無料)
  8. ブログ町史を更新しました
  9. 犬のふん尿の処理について(お願い)
  10. 樹木の枝葉が道路にはみ出さないようにしましょう
  11. 夏季期間中の町内会事務所の休みについて

20260723173730 20260723173723 20260723173716 20260723173707 20260723173701 20260723173652 20260723173645 20260723173635

(といあわせ:古井町内会事務所〔火曜~土曜日午前中〕電話 0566-76-3430)


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通史4 東からの風の中で古井は

※ このブログ記事は冊子『古井の歴史案内』を一章ごとに順不同で紹介するものです。
※ みぎのリンクからほかの章にとぶことができます。 【ブログ版目次】
※ 写真番号は冊子のページとページ内の番号を表示しております。
※ 赤字は冊子の記述を修正加筆したものです。

通史4 東からの風の中で古井は ~鎌倉・室町時代 安土桃山時代~

鎌倉幕府の命令が三河に届く時代になります。安達氏の後、代々足利氏が三河の守護につきました。また、室町幕府になっても足利一族の細川氏が守護となり三河を治めました。1467年(応仁元)応仁の乱以降、室町幕府の力が地方におよばなくなり、戦国時代となります。西三河では松平氏が安祥城を拠点に勢力を伸ばし、一向一揆の難局を乗り越えて次の時代に入ります。
(1) 新しい仏教が三河に (2) 松平氏の拡大と一向一揆

(1) 新しい仏教が三河に

① 三河の国の守護は足利氏

1185年(元暦2/文治元)源頼朝は平氏を滅ぼし、朝廷から全国に守護・地頭を置くことを認めてもらいました。歴史の教科書では、この年からを鎌倉時代としています。京都と鎌倉に政治勢力があり、そのさかいが三河でした。

三河の最初の守護は、安達盛長(あだちもりなが)でした。盛長は、源頼朝(みなもとのよりとも)からの信頼が厚かった鎌倉武士(御家人)の一人でした。

1221年(承久3)、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)のよびかけで鎌倉幕府討伐の兵があがりました。承久の乱(じょうきゅうのらん)です。結果は幕府側の勝利で、上皇は隠岐島(おきのしま)へ流罪(るざい)、上皇側の武士は厳しく処刑、荘園は恩賞として幕府の御家人に与えられました。この乱で戦功のあった下野国(しもつけのくに=栃木県)の有力御家人(ごけにん)の足利義氏(あしかがよしうじ)が三河の国の守護につきました。足利尊氏まで6代の足利氏の惣領(そうりょう)が三河国の守護職を務めました。足利氏は一族を三河各地に配置して支配を固めました。その一族は仁木氏・細川氏・一色氏・今川氏です。守護所は明大寺・六所神社あたりですが、志貴荘を取り囲むように一族を配置しました。

② 新しい仏教のはじまり

平安時代の仏教で、最澄(さいちょう)が開いた天台宗(てんだいしゅう)や空海(くうかい)の真言宗(しんごんしゅう)は、都の政治から距離を置いた学問と修行に重きを置くものでした。

平安時代の終わりごろ、極楽浄土(ごくらくじょうど)への往生(おうじょう)を願う浄土信仰が貴族の間で広まりました。やがて、戦乱や飢きん(ききん)を乗り越えたくましく生きる民衆や、自分の運命を切り開いてきた武士などの心のよりどころとして、新しい仏教がはじまりました。

法然(ほうねん)は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を称えるだけで誰でも極楽浄土に往生できるという「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の教えを説いて「浄土宗(じょうどしゅう)」をはじめました。鎌倉時代に入って、法然の弟子である親鸞(しんらん)は、「専修念仏」の教えをひきつぎ、のちに「浄土真宗(じょうどしんしゅう=真宗/一向宗)」の祖とされるようになりました。

日蓮(にちれん)は、法華経(ほけきょう)の題目「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を称えれば人も国家も救われると説き「法華宗」の祖となりました。

中国(宋)にわたって修行した栄西(えいさい)と道元(どうげん)は「禅宗(ぜんしゅう)」を広めました。禅宗は、坐禅*1によって悟りを得ようとするもので、武士の気風によく合い、幕府の保護もあり発展しました。栄西は臨済宗(りんざいしゅう)、道元は曹洞宗(そうとうしゅう)を開きました。「時宗(じしゅう)」の開祖一遍(いっぺん)は、常に臨終(りんじゅう)の時と心得て念仏せよと説きました。また、一遍により踊念仏(おどりねんぶつ)がはじまりました。

古井町内の憶念寺と願力寺は浄土真宗、保福寺は曹洞宗、法蔵寺は浄土宗です。天台宗や真言宗はすたれたわけではなく、熱心な信者も多く、脈々と現代にも受け継がれています。

③ 三河真宗の起源

親鸞(1173~1262年)は、9歳で出家(しゅっけ)し比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)で20年間厳しい修行と学問に励みましたが苦悩の末に比叡山をおりました。そして、聖徳太子ゆかりの六角堂にこもりました。95日目の明け方に受けた夢告(むこく)に導かれて法然の弟子となり、念仏者の道を歩みはじめました。しかし、法然の教えが危険思想と見なされ、法然は讃岐(さぬき=香川県)に、親鸞は越後(えちご=新潟県)に流罪(るざい)となりました。親鸞35歳の時でした。その5年後流罪は赦(ゆる)されましたが、親鸞は京都にもどらず越後から常陸(ひたち=茨城県)に移り布教活動をしました。

【写真80-1】三河念仏相承日記 ( 岡崎市 東泉寺) 184-283
【写真80-1】三河念仏相承日記 (岡崎市東泉寺)

明治期までは、三河に浄土真宗を伝えたのは親鸞自身であるとされていました。これを柳堂伝説(やなぎどうでんせつ)といいます。しかし、1910年(明治43)古井生ま れの佐々木月樵(ささきげっしょう)が南北朝時代(1364年(貞治3)成立)の史料『三河念仏相承日記(みかわねんぶつそうじょうにっき)』を発見し、親鸞自身ではなく、下野国高田(たかだ/現在の栃木県真岡市(もおかし)高田)の真仏(しんぶつ)・顕智(けんち)・専信房専海(せんしんぼうせんかい)らが 1256年(建長8)に聖徳太子を祀る太子堂(たいしどう)である、矢作の薬師寺柳堂で説法したのが三河真宗のはじめとみて、功労者は高田派系の人々であり、柳堂伝説は史実ではないことを明らかにしました。

岡崎市の桑子(くわこ)の妙源寺(みょうげんじ)・菅生(すごう)の満性寺(まんしょうじ)は、今も太子堂(たいしどう)を備える寺院です。野寺の本證寺*2や古井の憶念寺は真宗大谷派の寺院ですが、かつては太子堂がありました。初期三河真宗が高田派系だった証拠の一部です。

佐々木月樵は旧矢作町上佐々木の上宮寺の住職です。古井の願力寺から上宮寺に婿入り(むこいり)し、大谷大学第3代学長になりました。

また、憶念寺に縁のある刈谷市元町の専光寺の住職であり大谷大学教授の日下無倫(くさかむりん)も『三河念仏相承日記』の研究を深め、その研究の成果を発表しました。

【写真80-2】安城御影( 東本願寺蔵) 『特別展 親鸞聖人像の原点 安城
【写真80-2】安城御影(東本願寺蔵) 『特別展 親鸞聖人像の原点 安城御影』から 縦128.7cm 横41.0cm

「安城御影(あんじょうごえい/あんじょうみえい)」は、親鸞が83歳の時に描かれたもので、西本願寺と東本願寺にそれぞれ所蔵されています。どちらも親鸞からくだされたものです。絵像の上部は大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)、下部は正信偈(しょうしんげ)で親鸞直筆です。安城の名で全国に知られていますが、それは画像を親鸞から授与された専信房専海とその子孫が安城にいたからです。

【画像80-3】安城御影模式図 202-265
【画像80-3】安城御影模式図(東本願寺本をもとに作図) 『安城市歴史博物館特別展』から

④ 蓮如の時代の三河真宗

蓮如(れんにょ)の時代に三河真宗は大きく変わります。蓮如(1415~1499年)は親鸞から数えて直系の第8世です。高田派は、関東・北陸・東海で信者を多くもっていました。蓮如は本願寺派として精力的に布教活動をしました。

蓮如の時代は、室町時代の中ごろに、土一揆(つちいっき/どいっき)や・国一揆・応仁の乱(1467~1477年)があり、農村や都市で中世の自治が芽生えた時代でした。有力な農民は古い荘園制度から抜け出し新しい生き方を求めていました。人々は、蓮如の教えを受け入れて本願寺派の信者となりました。

蓮如は、親鸞の教えを分かりやすく説き『南無阿弥陀仏』と書いた名号を多くの信者に授けました。また、『御文(おふみ)』(手紙形式の法話)を各地の信者集団に送り、教えを伝えました。

蓮如を助けたのが佐々木上宮寺の如光(にょこう)です。古井の行専も如光の弟子のひとりです。京都では1465年(寛正6)比叡山の僧徒が多勢で押し寄せてきて大谷本願寺を破壊しました。その時如光は蓮如に「比叡山が欲しいのは金です。金は三河から足で踏ませるほど運びましょう。」と言ったそうです。

本願寺派では、寺院や道場に『方便法身尊像(ほうべんほっしんそんぞう)』という阿弥陀如来立像を描いた絵像本尊が授けられました。高田派から本願寺派に変わった寺院としては、上宮寺・本證寺*3(ほんしょうじ)・勝鬘寺(しょうまんじ)・明法寺(みょうほうじ)などが知られています。

⑤ 憶念寺

【写真81-1】憶念寺由緒の文書 ( 古井神社蔵) 147-210
【写真81-1】憶念寺由緒の文書(古井神社蔵)

古井神社に『古井村名 憶念寺桜井白山神社』に関する文書があります。その記述内容は次のようになります。

ア)聖徳太子が富士山へ向かう途中三河の古井・桜井あたりを通りかかりました。桜の林があり、そこに湧き出る泉の池の水面に桜の花びらが浮かんでいるのを見て、仏教を広めるのに良いところだと言い、お堂を立て「桜井寺」と名付けました。

イ)その後、第1世を聖徳太子として第9世の知祐(ちゆう)が比叡山で学び天台宗の寺にしました。

ウ)聖武天皇のころ、名僧行基(ぎょうき)制作の釈迦如来像を桜井寺で祀りました。

エ)源頼政(みなもとのよりまさ)の孫の太田駿河守広綱(おおたするがのかみひろつな)は古井に移り住み荒れ果てた境内を再興しました。

オ)第33世の醍醐坊広円(だいごぼうこうえん)が、親鸞に帰依(きえ)して、「浄土真宗」となり、憶念寺を開きました。

カ)醍醐坊広円から数えて10代目の円応(えんのう)が蓮如の教えを受け高田派から本願寺派の寺院になりました。

【写真81-2】聖徳太子立像 ( 憶念寺蔵) 120-227
【写真81-2】聖徳太子立像(憶念寺蔵)

今の憶念寺は真宗大谷派のお寺です。徳川家康のころ、元の本願寺派の「お西」(西本願寺)と、真宗大谷派の「お東」(東本願寺)に分かれました。なお東本願寺を真宗本廟(しんしゅうほんびょう)といいます。

聖徳太子が古井、桜井あたりに来たのは西暦600年、太子27歳の時ですが、史実とするだけの証拠が見つかっていません。ただ、「印内のお薬師さん」で述べた、憶念寺の近くで布目瓦の発見、字名の本神が本地垂迹説からの地名だという考察から、古井には、憶念寺ができるよりも前に寺院があったと考えられます。

真宗寺院では、基本的に本堂内の余間(よま)に聖徳太子孝養像(こうようぞう)(絵像)が掛けられています。かつて憶念寺では境内に太子堂がありました。

⑥ 願力寺

【写真82-1】「行専」の墓 2023 年12 月 186-200
【写真82-1】「行専」の墓 2023年12月

上は願力寺境内にある「行専」の墓碑です。1834年(天保5)第14代住職円能(えんのう)が建立しました。裏側の碑文の要点は次のとおりです。

ア)願力寺の開基は教賢院行専(きょうけんいんぎょうせん)である。

イ)行専は尾張源氏の直系の子孫で、俗名は山田右五郎重里(しげさと)である。重里は、徳川家の仁風を慕って安祥城に仕えた武士の一人であった。

ウ)行専は、兄信慶(しんけい)とともに蓮如上人の門弟になり、難行道から易行道に入った(浄土真宗に帰依)。

エ)行専は古井の西にあった天台宗の廃寺を再興して専修念仏(せんじゅねんぶつ)の道場とした。

オ)行専は1490年(延徳2)4月4日に没し、村人は火葬して墓をつくり塚に松を植えた。

上記エの村の西の方の廃寺は上寺にあったと考えられます。これに関連して、願力寺に 、『常照院由緒(じょうしょういんゆいしょ)』という古文書があります。次のような内容です。

廃寺になった天台宗の寺の名称が「常照院」であり、その開基は存戒(ぞんかい)であると記されています。存戒(912~985)は、10世紀ごろの人ですからその頃に常照院ができたことになります。本堂など建物が焼失しました。

【写真82-2】『常照院由緒』 ( 願力寺蔵) 266-475
【写真82-2】『常照院由緒』(願力寺蔵)

願力寺の寺宝の一つに『方便法身尊像(ほうべんほっしんそんぞう)』の軸があります。

【写真82-3】「方便法身尊像」 ( 願力寺蔵) 140-288 【画像82-4】方便法身尊像のうらがき 196-368
【写真82-3、4】「方便法身尊像」/軸の裏書(願力寺蔵)

実如(1458~1525年)は、蓮如の次の第9世です。この軸は、1515年(永正12)に本山から授けられました。本願寺本山から公認された道場であることの証(あかし)です。

(2) 松平氏の拡大と一向一揆

① 松平氏の勢力拡大

豊田市松平町、六所山(611m)の西、巴川の支流が流れるなだらかな丘陵に、松平氏の始祖と徳川家康を祀る「松平東照宮」・「高月院(こうげついん)」・初代「親氏(ちかうじ)」の銅像があります。この山里が松平発祥の地です。2代目泰親(やすちか)が1421年(応永28)に岩津城を構えました。岩津城は、岩津天満宮の西、矢作川両岸に広がる平野を見渡すことができます。そして、3代目の松平信光(のぶみつ)が三河に勢力を拡大する拠点としました。信光がねらいを定めたのが矢作川の右岸の安祥城(あんしょうじょう)でした。安祥城は志貴荘の地頭だった和田遠江守親平(わだとおとうみのかみちかひら)の築城という説があります。松平信光がこの城をうばう様子が『三河物語』に次のように書かれています。

安城の城を攻め取ろうとして、踊りの行列を豪華にしたてて、街道を進むふりをして、安城より14、15町ほど西の野へ行く。鉦・太鼓・笛・鼓を打ちはやし、一生懸命に踊った。すると町の人は「なにかわからないが、西の野の踊りはおもしろそうだから見に行こう。」と、城も家も開け放って、男も女ものこらず出かけた。松平信光と兵は、思いどおりだれもいないお城に入り、そのまま住みついた。城は三男親忠に譲った。

盆踊りにおびき出されて城をうばわれたわけです。1471年(文明3)のことです(※ 1475年の説もあります)。この失敗の教訓として安城の郷では近年まで盆踊りをしなかったそうです。14、15町ほど西の野は、現在の百石町(ひゃっこくちょう)の辺りです。

【写真83-1】安祥城址 2023 年12 月 317-189
【写真83-1】安祥城址 2023年12月

【写真83-2】江戸時代前期の安祥城古図 ( 広島市立中央図書館浅野文庫
【写真83-2】江戸時代前期の安祥城古図(広島市立中央図書館浅野文庫所蔵)

安祥城は土塁で囲まれ、周りはどろ田です。八幡社境内から古井の集落が見えます。また、遠く吉良一族も見すえた城だったといわれます。

 

安祥城の変遷
1440年(永享12)
応仁の乱のころ
1471年(文明3)

1530年ころ
1535年(天文4)
 同年
 同年
1540年(天文9)
1549年(天文18)
1562年(永禄5)
和田氏築城説あり
西軍山名・一色側の城
松平信光が占領
親忠が安城松平初代となる
甲山寺などを岡崎に移す
清康を安城四代岡崎殿と呼ぶ
清康が暗殺される
桜井松平が岡崎城に入る
織田信秀が占領
今川氏が占領
清州同盟により廃城

松平信光から安祥城を譲り受けた親ちかただ忠が安城松平の初代です。親忠は、1493年(明応2)第2次井田野の合戦(いだののかっせん)で、惣領(そうりょう)の岩津松平家にかわって勝ちました。また、1506年(永正3)今川氏が攻めてきた永正三河大乱(えいしょうみかわのたいらん)で岩津松平家の犠牲者が多く出る中で、安城松平2代目長親(ながちか)が活躍し今川勢を退けました。親忠と長親の活躍で安城松平は、惣領家としての地位を確かなものにしました。初代親忠は、大樹寺(だいじゅうじ)を建て菩提寺(ぼだいじ)としました。

3代信忠(のぶただ)は、三河物語に「家臣が恐れおののきて慕うものなし」とありますが、近頃は、信忠・清康に対する評価が変わってきています。信忠は34歳で嫡男(ちゃくなん)の清康に代をゆずりました。その時、清康(きよやす)は13歳でした。清康は、安祥城と岡崎城に住みました。安祥城のまわりの社寺を岡崎に移しました。清康は、各地に兵を送り西三河をほぼ統一しました。清康は、1535年(天文4)尾張に侵攻し織田信秀(おだのぶひで=信長の父)と守山で対峙(たいじ)しました。しかし、陣中にて家臣に暗殺(あんさつ)されました。25歳でした。

【写真84-1+】松平清康公(ブロンズ像) 298-296
【写真84-1】松平清康公(ブロンズ像) 安城市歴史博物館エントランス壁面に設置

松平氏の系図
(1) 親氏 豊田松平郷
(2) 泰親  
(3) 信光 岡崎岩津城
1 親忠 安城松平4代
2 長親(長忠)
3 信忠
4 清康
5 広忠  
6 家康 徳川初代
(1)~(3)は江戸時代の史料による代々
1~6は大樹寺史料をもとにした代々

② 安城合戦

【写真84-2】東条塚 安城町多門 2023 年12月
【写真84-2】東条塚 安城町多門 2023年12月

安城合戦は、松平広忠(ひろただ=清康の子、家康の父)と織田信秀(信長の父)が安祥城をめぐってくりひろげられた合戦のことです。写真の東条塚は、安祥福祉センターの東にあります。この辺りで、安城合戦がくりひろげられました。

安城松平4代清康(1535年(天文4)守山崩れ)と次の5代松平広忠(1549年(天文18))は、ともに相次いで家臣に暗殺され、安城松平は劣勢になりました。安城・岡崎松平は、今川と結ぶか織田氏と結ぶか議論があるなかで、今川氏のはざまで、本證寺*4門徒はいかなる場合も本證寺*5を守ろうと「本證寺*6門徒連判状(ほんしょうじもんとれんぱんじょう)」をつくりました。109名の武士が署名し本證寺*7の後継者を支援することを誓っています。

【写真85-1】本證寺門徒連判状 1549 年( 天文18) ( 本證寺蔵) 『安城市歴
【写真85-1】本証寺門徒連判状 1549年(天文18) (本証寺蔵) 『安城市歴史博物館常設展示案内』から

1540年(天文9)織田信秀・刈谷城の水野忠正(ただまさ)の連合軍が安祥城を攻撃しました。西尾市吉良の東条城から駆け付けた松平康忠(やすただ)が討ち死にしたところが東条塚(とうじょうづか)です。10年間、3次にわたって激闘がくりひろげられました。織田に奪われた安祥城を今川勢が松平に加勢し奪い返しました。1547年(天文16)から1549年(天文18)までの家康の織田家における人質生活は安城合戦に翻弄(ほんろう)されていたといえます。

③ 古井の侍の屋敷

『参河国二葉松』の「三州古城記」には、古井に石原と細井の古屋敷があったと記されています。また、寺と村の言い伝えでは、蜂谷(蜂屋)半之丞貞次(はちやはんのじょうさだつぐ)の屋敷があったとのことことです。蜂谷半之丞貞次は徳川十八神将図の下の方に出ています。古井町中屋敷の蜂谷家の邸内に記念碑があります。

④ 三河一向一揆

1560年(永禄3)桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)後、今川から解放された松平元康(家康)は、岡崎城を拠点にして三河の平定に取りかかりましたが、一向一揆の勃発(ぼっぱつ)に直面しました。三河の真宗門徒は蓮如の側につくものが多く、蓮如の浄土真宗本願寺派(一向宗)は、急速に拡大しました。三河一向一揆(いっこういっき)は、西三河全域で1563年(永禄6)から1564年(永禄7)まで半年間続いた一向一揆です。

1563年(永禄6)7月に松平元康から松平家康に、1566年(永禄9)に徳川家康と改名しました。

一揆勃発の原因は諸説ありますが、『三河国門徒兵乱記(みかわのくにもんとへいらんき)』(安城市立図書館蔵)は次のように書いています。

ア)野寺鳥居浄心の話

野寺の本證寺*8の境内で鳥居浄心(とりいじょうしん)が庭でむしろに籾(もみ)を干していて、そこに岡崎城下の若侍が乗っていた馬が、突然あばれだし籾をけちらかしてしまいました。大勢が集まってきたので若侍は岡崎に逃げ帰りました。

イ)野寺検断

本證寺*9の境内で「悪党をはたらく者」があったというので、家康の家臣が取り調べに来ました。武士が検問することに怒り、ついに一揆となりました。

ウ)上宮寺のぬれ米

佐々木の上宮寺(じょうぐうじ)の門前にぬれた米が100俵ばかり干してありました。「豊年の時に返すから」と交渉に来た家康の使者に対して寺側は悪口を言いながらことわりました。怒った家康は検問を命じました。寺の人々は勝鬘寺(しょうまんじ)に逃げ込みました。

【画像85-2】三河一向一揆要図 『新編岡崎市史2』から (岡崎市教育委員
【画像85-2】三河一向一揆要図 『新編岡崎市史2』から (岡崎市教育委員会)

本證寺*10・上宮寺・勝鬘寺は三河三か寺といわれ多数の末寺や門徒を持つ一大勢力でした。そして、立ち入り検問を拒むことができる特権がありました。これは、家康にとっては領国支配の上でやっかいな問題でした。家臣の中には、門徒が多数いて一揆側に加担しました。古井に住んでいたといわれる蜂谷半之丞貞次は槍の名手として頼りにされていましたが、一揆側になりました。

【写真86-1】蜂谷半之丞の碑 古井町中屋敷 171-238
【写真86-1】蜂谷半之丞貞次の碑 古井町中屋敷

一揆の最終段階で桜井円光寺(えんこうじ)の順正(じゅんせい)は、本證寺*11空誓(くうせい)の身代わり(みがわり)となって散っていきました。この「身代わり順正」の話は、村の人々に語り継がれています。

両軍の戦いがいきづまっていたころ、家康と寺側の仲に立って、戦いを終わらせなければと考える動きが出てきました。蜂谷半之丞貞次も終息に大きな役割を果たしました。一揆は次の3か条で和睦(わぼく)したともいいます。

  • 侍たちの領地は今まで通りとする。
  • 寺、僧、寺の領地の百姓はもとどおりにする。
  • 一揆の張本人の一命は助ける。

和睦により、一揆は治まりましたが、家康は後に僧侶を三河国外に追放し、国内での活動を禁止しました(「一向宗」禁制)。家康は1583年(天正11)になってようやく「一向宗」を赦免(しゃめん)し、これを受け、三河本願寺教団は江戸時代になってから再興していくことになりました。

【写真86-2】上宮寺 岡崎市上佐々木町 156-159 【写真86-3】勝鬘時 岡崎市針崎町 156-156
【写真86-2】上宮寺 岡崎市上佐々木町 【写真86-3】勝鬘寺 岡崎市針崎町

【写真86-4】本證寺 野寺町 2023 年12 月 317-218
【写真86-4】本證寺*12 野寺町 2023年12月

『新編安城市史』では次のような新しい提案がされています。三河の大寺院に蓮如などの本山の有力者の親族が派遣されてきました。本證寺*13にも同様の血族の僧がおくられてきました。空誓です。空誓が三河へ到着すると三河の一向宗寺院の動きが激しくなった形跡を読み取ることができます。

国指定の本證寺*14

三河一向一揆の拠点の一つでした。徳川家康の命により取り壊されましたが、20年後に許され再建しました。江戸時代末期には200か寺以上の末寺を持つ中本山として繁栄しました。堀・土塁・本堂・庫裡(くり)・鼓楼(ころう)・鐘楼(しょうろう)・大門などがよく残る城郭伽藍(じょうかくがらん)の史跡として、2015年(平成27)国の史跡に指定されました。国指定重要文化財の善光寺如来絵伝・聖徳太子絵伝など多数の文化財が伝わっています。

*1:座禅

*2:本証寺

*3:本証寺

*4:本証寺

*5:本証寺

*6:本証寺

*7:本証寺

*8:本証寺

*9:本証寺

*10:本証寺

*11:本証寺

*12:本証寺

*13:本証寺

*14:本証寺

回覧板6月号

目次

 ★ ふれあいひろばご来場ありがとうございました

お知らせ

  1. 古井町内会の資源回収7月4日(土)午前8時30分~
  2. 社協会費・安城神社奉賛会費・日赤会費にご協力のお願い
  3. 町内会費半額の申請はお済ですか?
  4. 古井町公民館サロン「喫茶スマイル」7月9日(木)
  5. 第2回「古井の歴史に親しむ会」を開催します
  6. 古井消防団安城市消防団活動教練会で活躍
  7. 古井町を守る力がここにあります
  8. 詐欺対策byNTTタウンページアプリ(警察庁推奨)をご活用ください
  9. 町内公民館に忘れ物が届いています
  10. 自分の所属している組、班をご確認ください

6月号1-1 6月号1-2 6月号2-1 6月号2-2 6月3-1 6月号3-2 6月号4-1 6月号4-2

(といあわせ:古井町内会事務所〔火曜~土曜日午前中〕電話 0566-76-3430)


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